第二章
ディーヴァ

 快楽の煙の中で男が叫ぶ、
「ああ!ああ!マスター、もっとわたしを殴って下さい、頭を踏みつけて・・・そのニードルを刺して」
「リリト様に赦しを乞え」
「あぁーリリト様ぁーッ、わたしの全ての罪をこの体にお受けします、お、おぉ、お許しを!!」
 やがて従僕の皮膚が裂けて、部屋の壁に血が飛び散りはじめると、彼の愉悦の叫びは高まって獣のような雄叫びとなっていった。
 主人は細くはあるが均整の取れた体をラバースーツに包み、銀髪を振り乱して奴隷の尻に鞭でスパンキングを繰り返す。息が荒くなってゆくのと比例して、彼のあの欲望は高まっていく。
「バラして喰ってやろうか」
「ああ、構いません、食いちぎってください」
「誰にそんな願いをしてる」
 奴隷の顔をブーツで蹴り上げると、グシャッと響いて頬の骨が折れた。鼻血を吹き出しながら、あちこち切れてしまった唇から涎を垂らす。
 狂ったような酷い悲鳴を嬉しそうに上げると、まだ若い、アイリッシュの全裸の奴隷は痙攣して射精した。


 クラブはまだそんなに混み合っていない。
「今日は・・・今日も、GAZOOでアレがあるからよ」パピヨンは煙草に火を点けながら言う。「あっちに人が取られるんだわ」
「連日か」
「まあね・・・何日間続けたって構わないのよ。GAZOOのオーナーがやってるイベントなんだから。勝手できるのよ」
 彼・・・彼女は、小さくあっと呟くと目を手のひらで押さえてうつむいた。煙が目に入ったらしい。ジャズのようだ、『煙草の煙が目に沁みて』。
「いってぇ、糞ッ」
 どうにも言葉づかいが良くない。顔を上げると、パピヨンは片目だけ涙をにじませてアンドルーに問う。
「ねえ、マスカラ落ちてない?ライナーにじんでない?見てくれる」
「うん?あ、ごめん俺近視なんだよね・・・」
 アンドルーは小さいガラスのテーブル越しに身を乗り出した。フェミニストの彼にとって、女性の形をしているものには優しくしなくてはというくだらなく悲しい習性がある。たとえパピヨンが男でもだ。
 二人の男の顔が近づいて、目が目を捉えあったとき、アンドルーは当惑した。ヤバイ。
 こいつ男ってマジかよ?
「あ、あ・・・うん、ライナーは平気・・・シャドウが少し・・・」
「そ、ありがと」
 なんだよ、こいつ鏡持ってんじゃないか。
 片目の点検を済ませるとパピヨンはまた煙草を唇に持っていった。
「また顔を近づけてくれない?」
「はあっ?」
「あんたの目、好き。綺麗」
「やめてくれよ、彼女に怒られる」
 っていうか、すでに何故かマリオンは怒ってるらしいけどな・・・それを思うと、また気持ちが暗くなる。マリオンに呼び出されたと思ったのに、とんだ男・・・女・・・?とここにいる。
「ふーん」パピヨンはさほど興味もないように鼻で言った。「どうでもいいけどなんで酒飲まないのよ」
「飲めないんだよ」
「あっそ」パピヨンは髪をかきあげて、少し笑った。気取ったようなこの男、ふと笑うと少女のような雰囲気になる。
 アンドルーはマリオンの笑顔を思った。
(あれも・・・にっこり笑うと可愛いんだよな・・・特に美味い物喰ってるときの幸せそうな笑顔が)
「彼女のこと?」
 見透かされたようでアンドルーはどきついた。
「あんたってわかり易過ぎ」今度は意地の悪い微笑み。天使も悪魔もお望みのままに、仮面を着けては取り替える。
「なんだよ、だって俺はマリオンに呼ばれたと思って来たんだから」
「僕じゃだめなわけね」肩をすくめて、パピヨンは拗ねたように言う。初めてこの男、僕と言葉を発した。
「でも、もしかしたらこっちに靡くかもよ」
「やめてくれよな、冗談でもそういうこと言うの・・・俺そういうのダメなんだよ、免疫が無いんだから」
 だいたいが、こんな美人じゃ本当に靡いちまうかもしれないじゃないか。俺はノンケだけど・・・でも人間わからない。
 クラブは暗く、また静かにBGMがかかるばかり。
 ここは普段、ジャズやソウル、バラードのライヴを見せるところだ。アンドルー自身もここでプレイしたことがあるから解る。
 少しずつ人の入りが増え、客たちの顔ぶれもティーンから壮年のスーツを着た上品な者までさまざまだが、GAZOOのようなサイケデリックな人間は一人も居ない。ショットバーの延長のようでもあるこのクラブは、マリオンと出逢った場所なのだ。
「ドリンの事を聞かせてくれよ、どうしたんだ?大切な友達なんだよ、幼馴染なんだ」
 アンドルーは話題を変えて落ち着こうとしたが、逆に見つめられてしまう。
「そうなの、幼馴染・・・あのねえ・・・あっ」
 バーテンダーが寄ってきて、何事かパピヨンに耳打ちした。「ああ・・・そうね。もう時間?」
 彼女は立ち上がると、アンドルーの横に立った。176センチ。座った大男の顔を見下ろし、覗き込む。
「ほんのちょっと席を外すわ。帰っちゃ駄目だよ。あとでドリンのことを教えてあげるからさ」
「え?」
「幾ら飲んでもいいよ。お金いらないから好きなの飲んでて。酒意外もいろいろあるよ」
 ぽかんとしている彼を尻目に、クイーンはモデルウォークで奥へ行ってしまった。

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